出会い系の真実を探る
「M」のような、あるとき自分を女としてみなしてくれる男が登場する物語に、快感を覚えるんじゃないでしょうか。
女は小説や映画に自己投影することがよくあります。
もしかしたら、自分をこの日常から連れ出してくれる男が現れるんじゃないかしら。
ひょっとしたら、自分を女として愛してくれる男がこの世のどこかにいるんじゃないかしら。
そうやって想像を膨らませていくと、自分の身にも起こるような気がしてくる。
つまり、女は自分を客観視できなくなるんです。
そういえば、知り合いのある若い女性が言っていました。
「女には思い込みが激しい人がけっこういますよ」と。
彼女いわく「女って電車の中で目が合っただけで、あの人は私に気があるんだと思ってしまうんですよね」。
だから、『M』を読んで、憧れるのも同じこと。
電車の中で目が合った男が、自分に気があるに違いないと思うのといっしょで、小説を読んで夢見て幸せならそれでいいんじゃないでしょうか。
それよりも、私が思うのは、主婦は自分が捨てられると考えていないこと。
これもまた女の思い込みなのかもしれませんが、妻の座は絶対だと信じている。
どこかにときめきを感じさせてくれる男がいないかしらという想像はしても、夫が別の女といっしょになって自分が捨てられる想像はしないんです。
たとえば、PTAの親睦会などで主婦が集まりますね。
以前、主婦の友人から聞いたんですが、そういう集まりがあったとき自己紹介をかねて「今いちばん好きな男性の名前を言いましょう」ということになったんだそうです。
私の友達は音楽が好きな自分がカミさんに捨てられるとは思いもしないのは、男も変わりありません。
カミさんが浮気するとも思っていないし、出ていくとも考えていない。
つまり、カミさんのほうから三行半を突きつけられるとは想像だにしていないんです。
だから、現実的には自分の身近な男は夫しかいないし、その夫婦の関係が壊れるとは思っていないんです。
しかし、自分を女として見てほしいという不満があったり、自分を女として見てくれる男と恋をする夢は見る。
非常に勝手といえば勝手な心理状態にあると思うんですね。
主婦の女性というのは。
そう考えると、男だってずいぶん勝手なんです。
だから、三行半がいきなりくると、相当こたえるという話を聞きます。
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